任天堂とは?

任天堂 テレビゲーム市場へのスタンス

テレビゲーム市場へのスタンス
同社の発表するゲームソフトの作品クオリティーの高さには定評があり、人気のゲームソフトシリーズを多数抱えている。とくに1985年に発売した『スーパーマリオブラザーズ』は大ヒットし、同社はゲームソフト市場で不動の地位を獲得することになった。

また、この市場を守るために任天堂は、任天堂の技術ライセンスを取得せず製造販売されたソフト(同人ソフト、当時は裏ソフトと呼ばれていた)の市場からの締め出しを実行した。これは、特にファミコン全盛時代に性的描写を含む裏ソフトが市場に多く出回ったため、警察やPTA、市民団体からのクレームが集中したことに起因している。これらは主に、同社が保有している特許技術や意匠・商標の無断使用を指摘するという形で行われた。そしてこれ以降、任天堂の方針が当時の日本家庭用ゲーム業界の自主規制に大きな影響を与えるようになった(俗に「ファミ倫」とも言われた)。北米圏におけるファミコン、Nintendo Entertainment Systemでは10NESと呼ばれる鍵に相当するチップをカートリッジに搭載し、起動時に本体との間で認証を行なう仕組みを設けた。そしてこのチップを特許と著作権によって防衛することで、正規ライセンスを取得していないソフトを排除した。

2001年にはゲーム雑誌『ファミ通』の出版社であるエンターブレインの発売したプレイステーション用ソフト『ティアリングサーガ』に関して訴訟を起こした。この訴訟は、『ティアリングサーガ』を任天堂の『ファイアーエムブレム』の類似作として著作権侵害と不正競争防止法違反でエンターブレインと開発会社を訴えたものである。最高裁まで争った末、不正競争防止法違反との主張の一部は認められたが、著作権侵害との主張は認められなかった。詳細はファイアーエムブレムの項を参照のこと。

ポケットモンスターのキャラクターを用いた同人誌に関わる事件については、ポケットモンスターの項を参照のこと。

任天堂はインベーダーゲームブーム当時にスペースインベーダーの亜流を販売し、TVのインタビューで山内溥が「遊びにパテントは無い」旨の発言をしていたことがあるが、プログラムに対する著作権が確立されるのは「スペースインベーダー・パートU」発売後の1982年のことであり、当時の発言も、当時のプログラムに対する見解を述べたものに過ぎない。

もう一つの大きなスタンスとして、堅牢なハード設計が挙げられる。玩具として発売されたテレビゲーム機は、子供に乱暴に扱われることを前提にした、耐衝撃性の高いハード設計が必要であった。ファミリーコンピュータは、製造から20年以上経った現在でも正常に動作する機体も少なくない。初代ゲームボーイ製作時には、社長自らが床にたたきつけて強度を確かめるといった逸話も合った。その思想は歴代のハードに受け継がれ、育成機能付歩数計ポケットピカチュウでさえ、大人が踏んでも壊れないほど頑丈に作られている。


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