任天堂とは?

任天堂 創業から電子ゲームへ

創業から電子ゲームへ
元々は京都で花札屋として創業した玩具企業であった。任天堂という社名は「運を天に任せる」「人事を尽くして天命を待つ」という言葉に由来すると言われているが、詳しいことは不明である。(初代社長が死去しているため)ただし、前社長の山内博もどちらかというと運命的な要素を強く信じる傾向にあるようで、この説の現実味を強くしているようにも思える。

第二次世界大戦後プラスチック製のトランプをいち早く製造するなど、国産のカードゲーム、ボードゲームの製造販売を行なう老舗企業である。また、麻雀、囲碁、将棋用具のメーカーとしても広く知られている。一時期はベビーカー「ママベリカ」など、育児関連用品を手がけたこともあった。そのうち、日本国内の証券取引所の立会場で「手の中のカードを繰る」仕草が任天堂を指す手サインとなるほどに玩具メーカーとして成長する。1970年代頃からは、「ラブテスター」や「光線銃」などといった電気電子技術を使ったオリジナルの玩具も開発製造している。これが後の「ゲーム&ウォッチ」につながる。

1983年に販売したファミリーコンピュータ(通称ファミコン)が爆発的に普及し、市場をほぼ独占して今日のテレビゲーム産業の基礎を作った。任天堂自身もゲーム機のハードウェア、ソフトウェアを製造販売する大手企業の一つとなった。携帯型ゲーム機市場では、今日でも世界トップのシェアを誇る。

ファミコンという言葉がかつて日本で家庭用ゲーム機全般を示すこともあったのと同様に、日本国外においてはファミコンを Nintendo Entertainment System (略称NES)と称して発売したことから、特に北米で、"Nintendo" といえばビデオゲーム一般の俗称として用いられた。90年代ごろからは、さらに「Nintendo」の示す意味が「バーチャルの、仮想現実の」など拡大解釈されるようになり、湾岸戦争のTV報道においては、戦闘機のディスプレイを通じて爆弾が命中するシーンばかりを放映し、まるでその様子がテレビゲームかのようだったため、「Nintendo War」とまで呼ばれた。このことについて宮本茂取締役専務は「見せ方によって人が死んでるように見せることもできるし、全く死者が出ていないように見せることもできる」と語り、遠回しながらメディアに対し遺憾の意を示していた。現在でも、内視鏡手術のことを俗に「Nintendo Operation」と呼ぶことがある。


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